2014年02月09日

映画「子宮に沈める」見てきました。




たまたま、ネットで以下の予告編にぶち当たり、号泣してしまった、、。

私自身の情緒や精神状態、体調にもよるんだろうけど、「観ないでトラウマになるより、観てトラウマになったほうがいい」との判断で、何年かぶりに映画館に足を運びました。

予告編自体は「断片を羅列する=ほとんど情報を伝えない構成」(あえてそうしてるんだろうけど、、)で、題材となった悲惨な事件を知らなければ、「なんのこっちゃ?」で終わってしまうような内容だけど、大阪市内(それも現場の近辺)で生活している身としては、ショックというか、胸が詰まる息苦しい想いでした。

当時を思い起こせば(事件は2010年、もう4年も前の出来事なんだ、、。)連日テレビで報道される内容はショッキングで、自分が普段歩いている町並みが映し出された上での過剰な報道合戦は「何か違う」と感じて心を痛めていました。

カメラの前で大げさに泣いてみせる近所のお母さんたちや、遠くからお供え物を持ってやってくる家族連れなど、異様な状況が何日も続くのにはある種の無責任な腹立たしさみたいな感情を持っていました。

「育児放棄をした母親一人が悪者だ」「キャバクラで働いていて、ホスト通いのバカ女」「子供たちはどんなに辛かったろう」「行政は何をしているんだ」という断片は、同時に「ゴミ捨ての時間や分別が厳しく、時間外に捨てさせて貰えなかった。=ベランダに大量のゴミ袋、家の中はゴミ屋敷状態だった」「託児所はどこも定員オーバーで預かってもらえない=常に自宅に子供を置きざりにする日常だった」「子持ちのシングルマザーは部屋を貸してもらえない=キャバクラに勤め、そこの寮としてマンションの1室に住む方法が1番簡単だった」「寮住まいでは住民票が無い=公的支援へのハードルがグッと上がる」「子供がうるさいと近所から苦情が多かった=児童相談所や警察に何度も通報されていた」断片と重なり、心に深い爪痕を残す。

「ゴミ捨ては時間分別厳守」「うるさい。くそガキ死ね。」「自治会に参加できないなら出て行け」「住民票がなければ援助は受けれません」「何度も家庭訪問しましたがお留守でした」といった声は、何もこの家族だけが経験した出来事ではないだろう。誰もが被害者になりうるし、誰もが加害者だ。

当時のやりきれない記憶や悲しみの中、「自分はこの映画を観なくてはならない」と自分勝手に判断し、頼まれてもいない贖罪の旅に出ました。 きっとつまらない生活の毎日の連続に疲れていたんでしょう。


以下ネタバレ含みます、、。


映画自体は「とても配慮された内容」でした。

出演者は6人。お母さん、長女のさち、長男のそら、出て行ったお父さん、お母さんの高校の同級生、ホスト?
母子3人以外は顔もほとんど映らない上にピントもまともに合わせてもらえません。
親子3人にのみピントを合わせ、他の映像に必要以上にリアリティを持たせない配慮だろうと。

映画はタイトルもイントロもなく、唐突にいきなりお母さんがパンツ脱ぐシーンで始まります。
パンツに付いた生理の血?を洗面所で洗います。エンディングもお母さんがパンツを脱ぎ、、
お風呂場で血を洗い流した後、部屋の片隅で空を見上げドアがひとりでにバタン!と閉まって終わります。

なんということでしょう!

固定カメラでの長まわし映像は、観客の感情移入を拒むように唐突にブラックアウトします。
(プチっと電気が消えるみたいに突然、真っ暗無音になる)黒い画面の秒数は微妙に計算されてる
んだろうし(シーン毎での長さが明らかに違う)、フェードアウトっていうの?フェードイン?(徐々
に暗くなったり明るくなったり)も合わせて使われているので意図的なんだろうけど、観客を現実に
引き戻す効果以外に狙ってた事あんのかな?

私は大阪の「第七藝術劇場」で観たんだけど、暗くなるたびに足元の非常灯のうすぼんやりした黄色い
光のスクリーンへの映りこみや、空調の「ヴォー!!」つっていうノイズと隣のボーリング場の「ゴトッ。
グー!!!」っていう低い音が気になったので、効果あったんだろうけど。

物語の序盤からよいお母さんであろうと頑張る母親の表情や化粧の仕方、服装や子供に対する笑顔やまなざしは、お父さんが出て行って引っ越した後から徐々に壊れていきます。

こども達と一緒にピクニック? するシーンがあるんですが、あれ、家の中だよね?
部屋から出られない=自分の価値観にがんじがらめになって逃げ出せない状況を暗示させるシーン
だったのかな? 後に子供が置き去りにされるシーンがあるんだけど、ピクニック(劇中にある1番楽しい
思い出)の時の服に着替えさせられてから置き去りにされてたら嫌だなぁ。どうだったかなぁ?

そして物語は淡々と観客を現実に引き戻しながら、確実にぶっ壊れていきます。

引っ越したあと、段ボール開けずに放りっぱなしにしてるとか、ごはんもスーパーで買ってきたコロッケ
透明パックのまま食べてるし、長男のそらちゃんはカメラも共演者も見ないで壁の1点を見つめたまま
動かなくなって、思わず「そら。何見てんの?」と、たまらずお母さんアドリブ?ぶっ放すし。
そして何よりも、お母さんがテレビにアンテナ線繋げなくて、砂嵐の「ザァ〜」っていう状態で放ったら
かしたままに放置するシーンがあって、このシーンはその後の誕生日のシーンで爆発します。
(ここも考えようでさ、お母さんは実は器用な人ではない。むしろ不器用で何も知らないというメタファー
と、後に飢え死にしてしまう子供たちへの配慮=観客はこの子たちが死ぬの知ってて観てる訳だから。
テレビがちゃんと映ってて、画面の中でおいしそうな食べ物が映し出されていく中で子供達が死んでいく
のはあんまりだろ?)

生活の空回りと同時にお母さんの服装と化粧はどんどんケバくなって、家の中はちらかって行きます。

生活がすさみ、母の愛情が子供達に向かなくなっていく過程で、何度も子供達が泣くシーンがあるん
ですが、ひどい泣き方や明らかに傷つくような表現はありません。
静かに控えめに映し出されます。(泣き声のボリュームも控え気味です)。子供の泣き声はかなり
精神的に来るものなので、わかった上であえて控えめにしているはずです。観客の心をかき乱したい
とか、精神をわざと揺さぶる気がない事の率直な配慮にのった表現だと思います。

で、ある日突然「何食べたい?」「オムライス」という娘の言葉に大量のチャーハンを作り、母親は出て
行ってしまいます。すべてが唐突です。「早く帰ってきてね」という言葉がむなしく響きます。
(このときの大量のチャーハンの量がすごすぎ。炊飯ジャー一杯のご飯を使ったような量。家庭用フライパン
を使って1回で作れる量ではないので、何度も作り足したと思われます。
posted by てんちゃん at 23:37| Comment(0) | 映画見たよ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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